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廃村を告げる活字に桃の皮…(東直子) @東直子集(セレクション歌人26)

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり
 来て
 
東直子/『春原さんのリコーダー』H8

この歌の得体のしれない焦燥感。
それが「来て」の一語を引き出すとき、「わたし」自身まで渇いた存在になる。

たとえば廃村。
この言葉は、今現在のみならず、ひとり、ふたり…と少しずつ人が減っていった過去の悲しみまでも内包しているようだ。
人の不在はぬくもりの不在である。またそれを求める叫びも隠されている。

たとえば新聞。
桃の皮を剥くときにテーブルに敷いたのだろうか。もはや新聞の役目はない。
そして、みずみずしい桃の果汁が、手触りも記事もかわいた紙面へ、ただただ滲んでいく様子が目に浮かぶ。 

「にじみゆくばかり」なものは決して新聞紙のみではない。

そして二重にも三重にもかかる渇きのイメージを引き連れて、“わたし”が“あなた”に「来て」と告げるとき、私もまた枯渇した存在になるだろう。 
この歌は静かな、でもぎりぎりの希求として、わたしがあなたを求めている歌なのかもしれない。
 

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- 3 Comments

なりひら  

廃村

この歌は去年の3月以前に作られた作品でしょうが、3.11.以降は原発で(事実上の)廃村となった福島県の村々を思ってしまいます。

2012/04/07 (Sat) 16:45 | EDIT | REPLY |   

みかみ  

Re: 廃村

たしかに3.11以降だと「廃村」という語にそういうイメージがついてくるかもしれないですね。桃の皮というのもなんだか象徴的です。
そうなると、がらりと歌が変わりますねー。
昔から好きだった1首で、当時の読みのイメージをそのまま持ち続けていましたが、なりひらさんのコメントでひやりとさせられました。
歌って読む時代によって見え方が変わるとは言いますが、この歌はまさにそうかもしれませんね。


2012/04/07 (Sat) 23:14 | REPLY |   

コモン  

かなりクールな才能があるからこそ

象徴的な歌が時代背景によって見え方が変わっても
強さ、説得力、みたいなものを持ち続けるのかも
知れませんね。

結構好きな作家さんなので、
新作『トマト・ケチャップ・ス』、これからじっくり
読もうかと思ってます。
まず、表紙の今日マチコさんの作品がステキで
ステキで・・・。ちょっと眺めてる時間が長かった。

東直子さんを解説する記事に書いてありまして、
なるほどなぁと思いました。
こちら↓のサイトなんですが・・・。
http://www.birthday-energy.co.jp

しかし3.11の衝撃の強さを改めて感じます・・・。

2012/04/21 (Sat) 22:37 | EDIT | REPLY |   

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