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革命歌作詞家に凭りかかられて…(塚本邦雄) @現代短歌の鑑賞101

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ 
塚本邦雄/『水葬物語』S26

メロディは誰のものだろう。

ジャズが生まれて100年近くたつ。
ものすごく大掴みで書くと、
当時メロディは独り立ちしていて、シンガーがそれぞれの個性でそれを歌った。
その後、ポップスが広がり、カヴァーという概念が入ってくる。
メロディは最初に歌った人のもののようになってしまった。
(さらにボーカロイドが出てきたことで、またジャズ寄りにもなっているかもしれない。)

では歌詞は誰のものだろう。

それはメロディのものかもしれない。
短詩や小説とは違って言葉ですべて完結させず、メロディと補完しあう。
だから、たとえば意味不明な歌詞でもしっくりくるときがあるし、
逆に、意味の通った言葉なのに変な感じがするときもある。

さて掲出歌は、革命歌。
そもそも革命歌にメロディは必要なのだろうか。
個性も、所有者的な歌い手も、いらない。
最重要なのは歌詞で、メロディはそれを乗せる力加減のためにあるものかもしれない。

メロディを奏でるピアノ。
その確固たるものが溶けてゆくさまは異様である。異様でありながら美しい。
この美しさは儚さである。

革命歌は革命の後には残らない。
その時代性の渦に巻かれていく様が、液化したピアノのイメージと重なっていくのだ。


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