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庭のうめ花二三輪のこれるは…(上田三四二) @現代短歌の鑑賞101

庭のうめ花二三輪のこれるは咲きそめのころに似てうひうひし 
上田三四二/『照徑』S60

年をとると、子供のようになるとよく言われる。
きゃらきゃらと笑う母。偉大な駄々っ子に変貌する父。
そういうのを垣間見たとき、老いを感じずにはいられない。

幼児性から老いを見出すとはどういうことだろう。
掲出歌では、「うひうひし」のあどけなさを、散り際の梅に見出すという。
もし、時間をかけて経験を積むことで人格ができあがるのであれば、さらに時間をかけて経験を手放していくことで元に戻るということか。
まさか。 
 
似て非なるもの。それがうめの花の咲き初めと散り際であり、幼児性と老いではないか。
そう考えるとき、この朗らかな詠みぶりと初々しい散り際のうめが、急に仮面をかぶった危うさに変貌して見えるのだ。


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