うたよむブログ

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青空の井戸よわが汲む夕あかり…(山中智恵子) @現代短歌の鑑賞101

青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや
山中智恵子/『みずかありなむ』S43

歌謡曲の作詞家、松本隆の歌詞にこのようなものがある。

夢遊病の街へと
飛び込みするポーズ
生きることに少し飽きかけているんだ

下り傾斜だからね
手を広げて走る
運がよけりゃ ふわり 飛べるかもしれない
(ORIGINAL LOVE 「夜行性」)

ふわり。
飛べるはずはない。
けれど、歌になると飛べそうな気がするのは、どうしてだろう。
飛んでいる幻想に、わくわくしてしまうのはどうしてだろう。

掲出歌も趣は異なっているけれど、なんとなく茜色の空から何かを汲みあげることができそうな気がするのだ。
幻想が不思議な実感を持っているのだ。

青空の井戸。

それは空にある光の源泉のようなものだろうか。
あるいは、井戸の水を汲んだ時の、空が映っている水面の揺らぎを指しているのだろうか。

いずれにしても、夕あかりの「行く末」は夜である。
空も地上も井戸もそして「われ」も闇に包まれる一体感がそこにはあるだろう。
そして、下句「ただ思へ」のリフレインが、何かの祈りのように響いて奇妙な安堵感を覚えるのだ。

幻想から奇妙な安堵感へ――その実在しないのに何かがあるという信頼。
掲出歌は、そのような世界を詠み手と読み手が共有してゆく歌だと思う。


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