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如何ならむ思いにひとは鐘を打つ・・・(道浦母都子) @現代短歌の鑑賞101

如何ならむ思いにひとは鐘を打つ鐘打つことは断愛に似て  
道浦母都子/『ゆうすげ』S62

道浦母都子さんの歌を知ったのは、学生時代に読んだ俵万智さんの『あなたと読む恋の歌百首』の巻頭を飾った下の歌だった。

 全存在として抱かれいたるあかときのわれを天上の花と思はむ

その後、馬場あき子さんの『歌の彩事記』で、掲出歌を知った。
だから、私の中で道浦さんは全共闘のイメージよりも、愛の歌を歌う印象が強い。

鐘の音というのは重く響く。
その荘厳な音は、確実にその前と後とを分断するようだ。
夕方の鐘しかり、除夜の鐘しかり。何かひとつの区切り・・・終わりを表すイメージがある。

遊びは、もうおしまい。
今年は、もうおしまい。
次の時空間を迎えるまでの、しばしの断絶の時間。

そんな鐘の音が、断愛に似ているという。
断愛という造語も、重い響きだ。

自らの手で打ちながらも、鐘の音はおおよそ人の手から生まれたものとは思えないような荘厳さを湛える。
断愛もまた、自ら断つ決意をするほかに、そこに躊躇を許さない“何か”が溢れているようだ。


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