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死後のわれは身かろくどこへも現れむ・・・(中城ふみ子) @現代短歌の鑑賞101

死後のわれは身かろくどこへも現れむたとへばきみの肩にも乗りて   
中城ふみ子/『花の原型』S30

死を目前としたときの、くらくらするような絶唱だ。
重苦しくはない、むしろ「身かろく」だ。けれど、そこまで歌えるようになるには、どれほどの覚悟がいったのだろう。

今思えばおかしな話だが、私は、中城ふみ子の歌をまだ読んではいけない、とずっと思っていた。
もちろん、昔から何首かは目にしていた。
離婚、妻のいる人への恋愛感情といった、静かで赤裸々な激情は、ひどく惹き付けられた。
共感もあるし、羨望もある。そして、恐ろしさもある。
自ら発し、自ら痛みを負う相聞歌。まっすぐに突き刺さる。

しかし、そのまま彼女は乳癌を患い、少しずつ死が近づいてくるのを感じる・・・。
その激情をもって、死に向かったらどうなるのだろうか。
想像しただけで、目の前が暗くなってふらふらしてしまう。

そこから先が怖くて読めなかったのだ。

しかし、「現代短歌の鑑賞101」の最後に載っていたのは、掲出歌だった。
最初は驚いた。
軽く、やさしい。要するに、一首に救いがあるのだ。

永遠の別れのはずが、「どこへも現れ」る。
現世では忍ばざろうえない恋が、「きみの肩」ほど近くにゆける。
「きみ」が恋人ではなく、子供だったら、その母性愛の大きさまで感じることができるのだ。

そこに救いを見出しつつ、一息つく。
しかし、死に向かう渦中にいて、どうしてここまで達観ができるのか。
しかも、生きている読み手が救われているのだ。
それ思う時、すべての痛みを自ら負う覚悟があった女性であったのだと、あらためて驚愕してしまうのだ。


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