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雨の中をおみこし来たり四階(よんかい)の・・・(小池光) @現代短歌の鑑賞101

雨の中をおみこし来たり四階(よんかい)の窓をひらけばわれは見てゐる   
小池光/『草の庭』H7

この歌、すごい歌である。
一読して簡単に情景は浮かぶが、しっかりと読むと単に情景を詠んだ歌ではない事に気づく。

ちょっと高校の古典の復習っぽくなってしまうが、
「窓をひらけば」は、
「動詞の已然形+ば」の形なので、「~なので」という原因・理由を表す。
つまり、「窓を開けたので、私はそれを見ている」となる。

雨の中を曳いているおみこしを見るために窓を開けたのではない。
窓を開けたら、偶然おみこしが曳かれていたので、私は見たのだ。

また、結句の「われは見てゐる」もことさら強調されている。
例えば
 ・四階の窓を開ければおみこしが雨の中を曳かれて来たり
と詠んでも、情景は変わらないはずである。
しかし、「窓を開けたから」、「わたしは見ているのだ」
ここを強調しているのだ。

もともと、おみこしは豊作などを願い行われていた側面がある。
神様が乗り、住民が曳く。
しかし、現在ではそのような願いをかけることもなくなってきている。
現代でいえば、それは地域振興の一環で行われていることも多いだろう。
それも現代版の豊かさへの願いではあるけれど。

しかしいずれにしても、住民はそれを待ったり、願ったりはしていない。
偶然見つけたから見た。
この感じ。
TVのチャンネルを変えて、ふと手がとまったような感じ。
地域そのものが共有する願いのようなものが希薄になってしまっている。
そんな失われてゆく地域性の悲しみを、作者は「窓をひらけばわれは見てゐる」の表現に込めたのかもしれない。


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