うたよむブログ

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◆年代別◆歌集一覧

今まで取り上げた歌を歌集の発行年別にまとめました。


昭和5年
前川佐美雄/『植物祭』
ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる 


昭和12年
加藤克巳/『螺旋階段』
まつ白い腕が空からのびてくる抜かれゆく脳髄のけさの快感 


昭和24年
宮柊二/『山西省』
ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづれをれて伏す  


昭和28年
森岡貞香/『白蛾』
月させば梅樹は黒きひびわれとなりてくひこむものか空間に 


昭和30年
中城ふみ子/『花の原型』
死後のわれは身かろくどこへも現れむたとへばきみの肩にも乗りて  


昭和31年
森岡貞香/『未知』
果物、肉など吊り降ろしおく白き紐井戸よりはみ出てをりぬ  


昭和32年
尾崎左永子/『さるびあ街』
硝子戸の中に対称の世界ありそこにもわれは憂鬱に佇つ  


昭和35年
春日井建/『未青年』
少女よ下婢となりてわが子を宿さむかあるひは凛々しき雪女なれ  


昭和39年
前登志夫/『子午線の繭』
岩の上に時計を忘れ来し日より暗緑のその森を怖る  


昭和42年
山中智恵子/『みずかありなむ』
行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ


昭和43年
小野茂樹/『羊雲離散』
感動を暗算し終へて風が吹くぼくを出てきみにきみを出てぼくに  


昭和44年
浜田到/『架橋』
ふとわれの掌さへとり落とすごとき夕刻に高き架橋をわたりはじめぬ 


昭和46年
佐藤通雅/『薄明の谷』
軟水にバラ洗われていたりけり批判書一つ書かんあかつき 


昭和47年
岡野弘彦/『滄浪歌』 
すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり    

河野裕子/『森のやうに獣のやうに』
青林檎与へしことを唯一の積極として別れ来にけり  

高安国世/『朝から朝』
虹の下くぐり行くとは知るはずもなき遥かなる車見て居り  


昭和51年
玉井清弘/『久露』
こおろぎの声ほろびしと思うとき水みたすごと夕闇はくる 

成瀬有/『遊べ、櫻の園へ』
サンチョ・パンサ思ひつつ来て何かかなしサンチョ・パンサは降る花見上ぐ  


昭和54年
奥村晃作/『三齢幼虫』
山間の小学校は休暇にて地球儀ひとつ教卓を占む 

小中英之/『わがからんどりえ』
蛍田てふ駅に降りたち一分の間にみたざる虹とあひたり  


昭和55年
藤井常世/『草のたてがみ』
雪はくらき空よりひたすらおりてきてつひに言へざりし唇に触る  

山崎方代/『こおろぎ』
大勢のうしろの方で近よらず豆粒のように立って見ている  


昭和57年
井辻朱美/『地球追放』
少年のたてがみ透きてさやさやと遥かな死海にとほる夏風


昭和60年
大塚寅彦/『刺青天使』 
をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪 


昭和61年
石田比呂志/『滴滴』
はらわたに花のごとくに酒ひらき家のめぐりは雨となりたり  

坂井修一/『ラビュリントスの日々』
雪でみがく窓 その部屋のみどりからイエスは離(さか)りニーチェは離る


昭和62年
道浦母都子/『ゆうすげ』
如何ならむ思いにひとは鐘を打つ鐘打つことは断愛に似て  


平成元年
高瀬一誌/『レセプション』
どうもどうもしばらくしばらくとくり返すうち死んでしまいぬ


平成2年
篠弘/『百科全書派』
人を統(す)ぶることはさびしき声呑みて真向ひてゐるわれの抜殻


平成3年
加藤治郎/『マイ・ロマンサー』
フロアまで桃のかおりが浸しゆく世界は小さな病室だろう
 
紀野恵/『奇妙な手紙を書く人への箴言集』
カフカ読みながらとほくへ行くやうな惚れあつてゐるやうな冬汽車

高野公彦/『水行』
夜の暗渠(あんきよ)みづおと涼しむらさきのあやめの記憶ある水の行く 

俵万智/『かぜのてのひら』
いくつかのやさしい記憶新宿に「英(ひで)」という店あってなくなる 

森岡貞香/『百乳文』
ひきだしを引けど引けざりすぐそばに隠れて見えぬものにくるしむ 


平成4年
萩原裕幸/『あるまじろん』
戦争が(どの戦争が?)終わったら紫陽花を見にゆくつもりです  

水原紫苑/『うたうら』
魚食めば魚の墓なるひとの身か手向くるごとくくちづけにけり 

穂村弘/『ドライ ドライ アイス』
水銀灯ひとつひとつに一羽ずつ鳥が眠っている夜明け前 


平成5年
大辻隆弘/『ルーノ』
ふるさとを去らぬは持たぬことに似て九月 素水をつらぬくひかり 

小高賢/『太郎坂』
家じゅうのもののあり処は妻病めばいっさい謎のごとく暗みぬ

蒔田さくら子/『鱗翅目』
咲きたるは咲かざるよりも苦しけれ地を擦る萩のこの乱れ様  


平成6年
大島史洋/『四隣』 
美術展見終えて開く自動ドア森の闇より老漁夫は来る  


平成7年
伊藤一彦/『海号の歌』
「正しいことばかり行ふは正しいか」少年問ふに真向かひてゐつ   

小池光/『草の庭』
雨の中をおみこし来たり四階(よんかい)の窓をひらけばわれは見てゐる

永井陽子/『てまり唄』
こころねのわろきうさぎは母うさぎの戒名などを考へてをり 

松平修文/『夢死』
森の奥に水湧きをり森の奥に雲湧きをり森の奥に蝶湧きおり

吉川宏志/『青蟬』
竪穴に落ちたのか俺が穴なのかレモンの皮をここに捨てるな  


平成8年
香川ヒサ/『ファブリカ』
人あまた行く夕暮の地下街を無差別大量の精神過ぎる  


平成10年
岡井隆/『ウランと白鳥』
白鳥のねむれる沼を抱きながら夜もすがら濃くなりゆくウラン 

米川千嘉子/『たましひに着る服なくて』
お手紙ごつこ流行(はや)りて毎日お手紙を持ち帰りくる おまへが手紙なのに  


平成15年
今橋愛/『O脚の膝』 
わかるとこに/かぎおいといて/ ゆめですか/わたしはわたし/あなたのものだ 

佐々木六戈 /『佐々木六戈集』
忘れをる人の名前は無か夢か憶ひ出せない虫明亜呂☐


平成16年
市原克敏/『無限』 
師よ弟子に神への祈りを祈らせよ祈りを祈る意味の無意味を


平成18年
棚木恒寿/『天の腕』
喫茶店に音楽家居て抱いているチェロになれないヴァイオリン、他

木曽陽子/『モーパッサンの口髭』
積まれある柘榴ひとつが転がると総崩れせるまぼろしのあり   



平成19年
鶴田伊津/『百年の眠り』
ゆるゆるの編目のような子と我の時間のはじめ まずは泣かれる

岡部桂一郎/『竹叢』
あおあおと一月の空澄めるとき幻の凧なか空に浮く


平成21年
野口あや子/『くびすじの欠片』
やや重いピアスして逢う(外される)ずっと遠くで澄んでいく水

藤島秀憲/『二丁目通信』
二本立て映画に二回斬られたる浪人は二度「おのれ」と言えり


平成22年
杉崎恒夫/『パン屋のパンセ』
樹枝状のブロッコリーを囓るときぼくは気弱な恐竜である  





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