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白鳥のねむれる沼を抱きながら・・・(岡井隆) @現代短歌の鑑賞101

白鳥のねむれる沼を抱きながら夜もすがら濃くなりゆくウラン  
岡井隆/『ウランと白鳥』H10

夜更けの暗い沼。
そこに、しなやかな首と柔らかい羽根を持った白鳥がたゆたっている。
水面に揺らぐそれは、闇にあっても白く煌々と映えていることだろう。

そんな白鳥のいる情景に私はセクシャリティすら感じる。
そして、その艶やかさを湛えた四句に続く「ウラン」という言葉は、認識を超え、闇を妖しく照らす雫のようなイメージとして降りてきた。

怖い話である。 

抱かれる沼の白鳥と、包み込むウラン。
苦ではない。むしろ快である。
濃度を増して、その物語は進んでいく。

性がさらに高みを目指そうとするのが本能であるように、より快適な生活を得ようとする欲求もまた人間の本能の一部なのだろう。
そして、本能の追求は死と隣り合う危うさを持つ。
原子力の問題をテーマとしながら、ここには人間の逃れられない本能の所業が垣間見える。


また、この掲出歌にはもう一つ気になることがある。 
古く錬金術の世界において、白鳥は「水銀」のシンボルだったという。
そして科学の理論上、「水銀」は核分裂で金に変わるのだ。

錬金術の果ての果て・・・
掲出歌にはまだまだ深い意図があるのかもしれない。

 
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