うたよむブログ

ARTICLE PAGE

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ…(岡野弘彦) @現代短歌の鑑賞101

すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり  
岡野弘彦/『滄浪歌』S47

桜を考えるとき、ソメイヨシノが違和感を持って付きまとう。
今、最も一般的な桜のひとつであるソメイヨシノは、全てクローンであるという(=接ぎ木でしか増やせない)。
そのため、温度や気候条件が共通である同じ土地の桜は同時に咲く。
それが、桜前線になるというのだ。

咲く時は一斉に咲き、散るとなれば一斉に散る。
この桜前線の仕組みを知ってから、ソメイヨシノを愛でることに何となく違和感を覚えるようになった。
日本的といえば、日本的な桜ではあるけれど…。

さて掲出歌。
一本の桜の木の花が一斉に散るさまを「すさまじく」と表現し、それを見ている私の身は「ひえびえ」してくるというのだ。
そして、すさまじく桜がふぶくから、身が冷えびえしてゆくという、この因果関係。
尋常ではない。
おそらくこの一斉に散る桜のさまは、戦争を重ねたものだろう。

『現代短歌の鑑賞101』の解説欄には、「同世代への鎮魂とみずからは生き残ってしまったという思い」が岡野さんの歌の根底にあるという。
また、「私にとっての『古事記』」という岡野さんの講演では、自分たちの世代は戦死する前提で最高の講義が組まれた…という話が出てくる。

しかし、岡野さんは生き残った。
そして桜を見る側になったのだ。
桜ふぶきを身に受けて、どれほどの思いが去来したのだろう。
堪えがたいその思いで立ちつくす身の冷やかさは、散ってゆく花びらの冷やかさを全て受けた温度なのだろう。


☆参考 (岡野さんの講演)
森永エンゼルカレッジ/古事記が語る原風景「私にとっての古事記」(岡野弘彦)


にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ
スポンサーサイト

- 0 Comments

Leave a comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。